teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


「桃太郎」の違和感

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2005年 3月21日(月)17時12分20秒
  僕は小さな頃から「桃太郎」に違和感を感じている。
話の流れとしては
1、川で拾った桃から子供が産まれ、それを桃太郎と名付け育てる
2、鬼の悪事を知った桃太郎はきびだんごを持ち鬼ヶ島へ出発
3、お供に犬、猿、キジを加入
4、鬼ヶ島で戦闘の末、宝物を奪還
となっているが、僕の感じた疑問は「鬼の悪事とは果たしてどの程度だったのか」である。
多ければ殺人、傷害、略取なども含むだろうが、絵本に書かれている物をまとめると昼に行った強盗だけという可能性が出てくる。
それに対して桃太郎一行はというと犬は噛みつき、猿は引っ掻き、キジはくちばしで突き、桃太郎に至っては刀で斬るというテロ行為を夜に決行し、奪還を行っている。
これではどちらかというと鬼よりも桃太郎の方がより残虐な強盗団に感じてしまうが、さらに恐ろしいのはつい最近知った童謡の存在である。
普段歌うのは大体が2番までだが、4番と5番の歌詞に「一度に攻めて攻めやぶり、潰してしまえ鬼ヶ島」や「おもしろいおもしろい、残らず鬼を攻め伏せて」というのがある。
つまり桃太郎は最初は鬼退治が目的の英雄だったのに、いつの間にか鬼を全員斬ることに快楽を求めるようになってしまった殺人鬼になっている。

きっと人間の心に棲む「鬼」が最も恐ろしい存在なのだろう・・・
 
 

実験

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2005年 2月19日(土)23時17分9秒
  僕は今ではこのサイトで「実験室」というコーナーをやっているけど、小学生の頃から理科の実験は大好きだった。
何故か知らないけど、僕の通っていた小学校では試験管にジュースを入れてそれを冷凍庫で凍らせてアイスキャンディーを作ったり、クエン酸と何かを水に溶かして酸っぱい炭酸飲料を作ったりと飲食系の実験ばかりをやっていた記憶がある。
この時点で「実験=楽しい」という簡単な考えはあったけど、ここを開設した当初はまさかそれをネタにするとは一切考えてはなかった。
ではどうして始めたかというとよろず仲間のshinさんから某所のチャットでバナナマヨネーズ、ミルクサイダー、納豆トーストと様々な料理を紹介してもらい、それを全て試した途端「これをネタにしろ!」と神とも悪魔とも分からない「何か」からの命令が聞こえ、気が付くと僕は「実験室」を作り出していた。
これは誰に感謝すればいいのか分からないけど、関わった存在全員に感謝します。
 

僕の本名

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年12月14日(火)23時19分10秒
  僕の本名は姓名共にかなり珍しい部類に入る。
姓の順位をネットで調べてみたら41872位という順位で世帯数も15とかなり少ない(ちなみに1位の佐藤さんは47万世帯以上)し、名の方もすぐに正しく読める人はほとんどいない。
それに総画数が48とかなり多く、テストなどでフルネームを書くときは時間が掛かるので小さいときは自分の名前が嫌いだった。
だけど、成長すると共に自分の姓が一族だけの物であることや歴史上の人物の姓がなまった物であろうということがわかりそれからは「大切にしておこう」という気持ちが強くなっていった。
やっぱり数が少ないので佐藤さんや鈴木さんでは持つこともないだろう使命感を持っているので改名は絶対にしたくない!
 

犬との出会い

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年11月 4日(木)21時31分7秒
  僕は今となっては犬がかなり好きだけど、第一印象はかなり悪かった記憶がある。
何故ならただでさえ行きたくなくても連れて行かれた保育園のすぐ近くに犬がいて、よく吠えられたからだ。
小学校に上がってすぐの頃はまだ犬好きではなかったので、通学路にレックス(正確な名前は分からないけど、みんながそう呼んでいたので僕もそうした)という犬がいてもあまり近づけなかった。
だけど、レックスはほとんど吠えることもなく逆に僕の顔や手を舐めてくれて僕を楽しませるだけでなく「犬=よく吠えて恐いもの」という当時の僕の固定概念を綺麗に消してくれた。
僕が初めて自由を手に入れた中3の時に会いに行ったときもレックスは以前と変わらずに僕の顔や手を舐めてくれた。
かなりの高齢犬だったので次の年にはもういなかったけど、今でも僕はレックスに感謝している。
 

スピードへの憧れ

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年10月24日(日)23時55分2秒
  僕は小さい時からかなりのスピード狂である。
保育園に通っている頃くらいにスピードは遅かったものの、父の乗るバイクに乗せてもらい近所を一回りするのが結構楽しかった記憶がある。
小学校に上がってからもほとんどの友達が走りながら車椅子を押していたし、低学年の頃は僕を含めて6人乗りで走る「脱線天ぷら事故」という遊びもやっていたので恐いと思うこともなく逆にすごい楽しかった。
さらに高速道路では父が当たり前のように時速100㎞以上(最高速度140㎞)で走っていたので「速いって最高に楽しい!」と感じるようになっていった。
最近では暴走族や走り屋に対しても尊敬できるようになっている僕はもはやスピードに取り憑かれていると思う。
 

僕の住む街

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年10月23日(土)23時03分56秒
  僕は東京多摩地区のとある街に住んでいる。
池袋や新宿に電車を使えば30分で行けるけど、埼玉県へは歩いていけるという都会ではないけど、かといってすごい田舎でもない何とも微妙な街だし、3年前に隣の市と合併した際に名前がどうしても「どっちだよ!?」とツッコミたくなるものになってしまった。
名所と呼べるところも神社やお寺くらいしかないので、他の街に住んでいる人に対して「ここはオススメだよ」といった日常的な会話もほとんど出来ないでいる。
23区に入りそうで入らないそのギリギリ感や、自慢できそうなところが20年と少し住んでいても思いつかないようなこの街が僕は大好きです。
 

事故

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年10月 4日(月)23時48分51秒
  僕は小さいときから車椅子で事故ることが少なくはなかったけど、今回はその中で1番印象に残っているものを紹介したいと思う。
あれは僕が小6で理科の授業の帰り道で友人のO君に車椅子を押してもらっているときに起きた。
O君は車椅子を走りながら押していて判断が遅れたか何かで段差に前輪から落ちていき僕は顔面の左側を強く打った。
途中まで迎えに来ていた担任の先生にすぐさま起こされたけど、みんなは僕の顔を見るなり「うわぁ」と悲鳴にも似た声を上げていた。僕はあまりに突然の出来事だったので何が起きたのか最初はわからなかったけど、みんなの顔つきと声で「何か」が起きたことを何となく知り、ふと顔を下げると白っぽかったズボンにポタポタと血が落ちて少しずつ赤く染まっていてそのすぐ後に保健室で応急処置を受けているときもまだ何が起きたか完全に理解は出来ていなかった。(事故に遭うと周りがスローモーションになるというけど、本当にそう感じた)
応急処置後に母親と一緒に近くの病院まで行き(多分小さい子供が見たら泣き出しそうなくらい僕の顔はグロかったと思う)着いてからは顔中にガーゼを貼られたりレントゲンを撮られていたけど、そんなときでも僕はクラスのことを心配していた記憶がある。
検査の結果は何処にも異常はなかったので消毒の処方箋をもらった後で報告の為に1回クラスに戻ったけど、その時もみんなから「うわっ!」とさっきより強く声を上げられた。その時に押していたO君から「ごめん」と謝られたけど、別にその時もわざとやられたわけではないのですぐに許してあげた。
家に帰ってからは数時間死んだように眠り、起きたときに初めて自分の顔を鏡で見たけど、みんなと同じように「うわっ!」と声を上げてしまった。(ジェイソンの素顔を初めて見たときよりも驚いた)
その後で作文の授業がありネタの思いつかなかった僕は思いきってこのことを作文に書いていた。(いつもは苦手な作文だったけど、このときはかなり沢山書けていた)
このサイトの「実験室」と同じようにどうやら僕は当時から自分の身体を張ってネタを作っていたようだ。
 

アツキヨ

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年 9月23日(木)23時26分39秒
  僕が初めてアツキヨに出会ったのは7月31日の土曜日だった。
偶然行った近所のデパートでラジオの公開録音をやっていて、そのゲストが偶然アツキヨだったという僕的には「運命の出会い」だったけど、最初はアツキヨという男女デュオを全く知らなかったので、そこで練習をしていた2人をしばらくの間近くで見ていた。
しばらく女性(以後 kiyoさん)の歌声を聴いて何度か「あれ?音が少し外れてる?」と思っていたけど、近くにあった紹介のチラシにkiyoさんが重度の難聴者であると書いてあった。
今まで僕は「耳が聞こえない人は音楽に興味を持たないだろう」と勝手に思いこんでいたけど、それは間違いだとそこで初めて気がついた。
公開録音が始まり簡単な手話講座、「ごあいさつ」、「ふりかけの歌」と元気な曲が続き初めてだったにも関わらず僕はかなりノリノリになっていた。
最後の「kiseki」は僕がそこに着いたときに2人が練習していた曲でその部分はkiyoさんのソロパートだった。
「耳が聞こえないのにこんなに歌えるなんてすごい・・・」と歌で動くことがほとんど無い僕の心にアツキヨはかなり大きな衝撃を与えてくれた。
それから僕はDVD、メジャーCD、インディーズCD、本の全てを買い、着メロも換え、2人が出演するテレビやラジオも視聴、日産のCMにいち早く反応、池袋に行ったときは見れる見れないに関係なくアツキヨ号(都電荒川線)を見に行き、行くのに2時間近く掛かる北千住の路上ライブにも2回行くといったファンになっていった。
僕はこれからも毎週金曜のライブも行けるときは必ず行くしアツキヨを応援し続けます。
 

ツッコミ

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年 9月20日(月)23時11分24秒
  僕はボケかツッコミのどっちかと聞かれたら間違いなくツッコミと答える。
といっても的確なツッコミが出来るわけではなく、咄嗟にいいボケが思い浮かばないからという非常に適当な理由である。
ツッコミのやり方も「そこは○○じゃなくて××なんだけど」というように相手が指摘されたら痛いだろうなというところを探して、そこだけを攻撃して相手が反論できないようにする(サソリやスズメバチが毒針で敵を突き刺す感じ)というやり方を小学生くらいからずっとやっている。
今ではテレビ番組(特に某料理番組)や自分の独り言にまでツッコミを入れたりしてるので親からもよく「変だ」と言われているけど、やっぱりコレはやめられない
 

電車

 投稿者:ふじっぺ  投稿日:2004年 9月18日(土)00時03分1秒
  僕は小さい頃からかなり電車が好きである。
中でも自宅から30分も歩けば北に行っても南に行っても見ることが出来る西武線が1番好きだった。
小さいときは西武線に乗れるというだけでイヤなリハビリも頑張れたような気がしたし、入院中も病院の近くを電車が走る音を聞くだけで(確か電車自体は見れなかった)すごく喜んでいた記憶が今でも残っている。
今は見ることも好きだけど、それよりも都会に行く為に乗ることの方が好きだし、ただ乗るだけでなくすれ違った電車を「今のは○○系××の□□行きだな」と動体視力を鍛える為にも使っている。
このようにマイナスをプラスにしてくれたり、都会に連れて行ってくれて、それに動体視力まで鍛えてくれる電車は僕にとって1番身近に感じられて、好きな乗り物です。
 

レンタル掲示板
/2